アトリエmado

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映画「かすかな光へ」

昨日、佐野の風の子保育園でかすかな光へ(クリック!)を観ました。

以前、伺ったことのある「工房 集」が、出ると知り、これは是非と思ったわけです。

すごくよかった!

ぜひぜひ、みんなに観ていただきたい

94歳の教育者大田尭氏が、映画の中で、またその後の講演会で語られる言葉の数々。。。

一つ一つ、胸に響いてきました。

教育とは、予測できない次世代を担う人間の、基本をじっくり育むこと。

促成や、効率主義では成り立たない

自然ほど人間を育てるために必要なものはない

モノが豊かになりすぎ、欲望に傾くと自己中心になり孤独化現象に・・・

新しい人間関係の創造が身近なところから必要。

生命の特徴を考える。。。一人として同じDNAはいない。

違うこと、違ってもいいんだよではなく、明らかに「違う」。

だから、親は子どもを私物化してはいけない

似ているけれど、DNAの構成をまったく違う、人間だから

同化しようとしたり、思ったとおりにしようと思ってはいけない。

この、違いを大切にすることが、いのちの、その人の、その子の尊厳を大事にすることになる。

こども、ひとりひとりのもともと持っている自ら育とうとする力を信じ、そこと対話する。

いろんな刺激を与えたり、学習力を援助、介添えするのが教育

太陽や水、空気、食した他の生物などさまざまな関わりがなければ、いのちは続かない

かかわりの中に命は、ある。

お互いの「違い」を受け入れあい、可能性を信じあう

本来の持っている力を最大限に開花させること。

言葉で通じあわずとも、感性のひびきあいこそが、大切。

こどもは、今、失業者。人間になるための本来の仕事は、遊び。

舞台である自然そのものがきびしい状態である。

自然というかけがえのない教師。

本質に触れることの大切さ、そうしたものに幼いうちにうんと、触れるべきである

命令によっての遊びは、遊びではなく、やらせ。

こども自ら、冒険し、陰謀し、感性と感性のひびきあい、経験の蓄積こそがほんとうの遊び

子どもは親の私物ではない。

親の胎盤を出た後は、社会的文化的胎盤で育つ

障がい児も、次世代を担う大切なこども。

社会全体で育てる。

世話をしながら、人間関係は豊かに発達し学ぶ。

太陽の家、「工房 集」はそのひと、その人が好きなことをして、表現して社会的に役目を果たす。

役目を果たさなくても世話をする人がそこから、多くのことを学ぶ。

こどもにとって、必要なのは大人の背中

大人が自分の好きなことをやって輝いてる背中はこどもにとって励ましになる

困難な中にいても、前向きに生きる。

モノとお金が生活を支配している

道具が命を痛めつける結果になっている。

命を大事にすることを軸にしてお金やモノを使うべき。

ひたすら、羅列してしまいました。

言い回しや、ニュアンスがちがったりするのでためらわれたのですが

もし、映画にいけない人でも、この言葉の中から、大田先生の夢・・・かすかなひかり・・を感じていただけたらと思いました

アトリエmadoは、個性的な子の集まり・・・。

ひとりひとりのいいところをみよう、

その子らしさが引き出されるように最小限の手助け、元気が出る言葉がけをしよう、

目線を合わせて話を聞こうといつも思っているけれど

とても難しく、反省することが多い

けれど、ひびき合えたとき、心から暖かくうれしい気持ちになる

ああ。これからも「違い」を受け入れ、尊重しながらやっていくんだ

この映画から、大田先生から、ものすごく元気をいただいた。